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ギリシア神話です。なんだか勢いで書いてしまいました。
アプロディテがヘルメスにエロスの先生を頼んでるところです。

コレッジョの「キューピッドの教育」は神絵画だと思います。

 アプロディテがその事実に気が付いたのは、ほんの些細な出来事からであった。
 
 
「エロちゃーん」
 彼女は寝台の上でごろりと寝ころびながら、義理の息子を呼んだ。
 時刻は既に昼になろうという頃合いであったが、自分の気持ちに素直に生き続けてきた彼女はそんな事は気にしない。
 ふわあ、とだらしのない格好のままアプロディテは手を口に当て、欠伸をした。
 そこへ美しい幼子が寝室のカーテンを引いて現れた。
「呼びましたか、義母上?」
 ひょっこり、と顔を出したのは黄金色の髪の毛がくるくると綺麗な巻き毛をした少年である。こぼれ落ちそうなほど大きな飴色をした瞳からは全く邪な色が見えない。
 十にも満たない外見の背には、白鳥のそれとよく似た翼がはためいていた。
 その幼子こそが愛を司る神である、エロスである。
 アプロディテが手招きをすると、ひょこひょこと小さな足を使ってアプロディテの手の届く距離に近づいた。アプロディテは可愛らしい自分の息子を見てうふ、と笑う。
「お使い頼まれてくれるかしら」
 素直な息子は嫌な顔ひとつせず、にっこり頷いた。
「何を買ってくればよいのですか?」
 実は、アプロディテが息子のエロスに使いを言い付けるのは珍しいことでもない。アプロディテは一つ二つ欲しい物をエロスに頼み、買ってきてもらうことが多いのだった。
 だが、今回は少々違った。
 アプロディテは少し待つようエロスに言うと、小さな紙とペンを持ってきて何かを書き始めたのだ。それが終わると満足そうにその紙をエロスに手渡した。
「この紙に書いてるの買ってきてくれる。ちょっと多いんだけど、頑張ってね」
「………」
 しかし、いつもなら従順な息子らしく飛び立つエロスはその日に限って動かなかった。
 アプロディテは首を傾げた。
 何かおかしな物でも書いたかしらとエロスが持つ紙切れを覗けば、やはりそこに書いてある文字はアプロディテの意の通り、いつも頼むような化粧品の数々である。
 アプロディテはますます首を傾げて、どうしたのかと訊ねようと口を開いた。しかし、その前にエロスの心底困ったような視線がアプロディテを見据える。
 そして。
「義母上、これには何と書いてあるのでしょう?」
 アプロディテはこの時初めて、自分の息子が読み書きできない事実に気が付いたのであった。
 
「一体何世紀、彼の母親をやっているんですか貴女は」
 ヘルメスは呆れた眼差しを隠そうともせず、目の前のアプロディテに注いだ。
 アプロディテはその視線にムッと口を尖らせる。
「じゃあ貴方はエロちゃんが文字を読めないって知っていたというの?」
「当たり前じゃないですか。僕を誰だと思っているんです」
 間髪入らずに返事が返る。
 アプロディテは何かを言うとして口を開くが、言う言葉を見つけられず渋々と口を閉ざした。そんなアプロディテの様子に、ヘルメスは小さく溜息をついた。
「だいたいね、母親の貴女が彼を立派に育てあげなくてどうするんですか。エロスには父親がいないんですから。放任主義も彼がもっと大きくなってからにするべきでしょう?」
 淡々と言い聞かせるように言うヘルメスに、アプロディテは反論する。
「でも、エロちゃんは良い子に育ってるじゃないの」
「それは彼の元々の気質でしょう? 父上たちに聞いたことがありますよ、僕は」
 貴女のせいじゃない、とヘルメスは言外にほのめかす。
 アプロディテはまた沈黙した。
 確かに、エロスは最初会ったときから従順で良い子であったからである。
「もしかして彼が今まで成長してこなかったのは、きちんと教育してこなかったからかもねぇ…」
 ぽつりと、ヘルメスが呟いた。
 アプロディテは重くなって俯いてしまっていた顔を、ぐっと持ち上げる。そして拳を握りしめた。
「やり始めるのに遅いことなんてないわ」
 そう、やり始めることに意義があるのだとアプロディテに前向きに考える。
「そういうわけでヘルメス、エロちゃんに文字の読み書きを教えてあげてちょうだい」
 ヘルメスはにっこりと微笑んだ。
「どうしてそこで、自分が教えるという考えにいたらないんでしょうかね?」
 馬鹿ですか貴女は。僕の言葉を聞いていました? 本当に馬鹿なんですか。
 と、目の前で笑う男からビシビシと伝わる内なる心にアプロディテは目をつむった。
 だって、どう考えても。
「面倒くさいわ」
「………」
 ヘルメスは微笑んだまま絶句し、それから深々と心の中で溜息をついた。
 そしてこの事は後でアテナに話して、彼女に説教をしてもらうことにしようと勝手に決めてから、話を戻す。
「それじゃあ、僕がエロスの先生役を引き受けた時……貴女は僕に何をくれるのかな? 生憎と無料奉仕は柄じゃないんですよね」
 美の女神は小首を傾げながら、悪びれなく言った。
「私の身体?」
「それはもう結構」
「…あら。絶世の美女による世界を揺るがすような超快楽を断るっていうの」
 アプロディテが態とらしく身体をくねらす。
 ヘルメスは内心超快楽って何だと思いながら、表面は笑みを浮かべた。周りからよく言われる、何を考えているのか分からないという笑みである。
 その笑みを浮かべたまま、にこりと言った。
「性欲を満たすよりも、金勘定を考えているほうが好きですからね」
 アプロディテは鼻白んだように肩を竦めた。


++++
交渉はアプロディテが愛用する美容液とか香水とかに決まると思います。ヘルメス先生の誕生(笑)
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Author:津川宥
日々妄想しながら、ぼちぼち小説を書いてます。
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